2016.7.6 |
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美しい日本 |
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川端康成による名作のひとつ、「雪国」の冒頭である。
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国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。 内側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落とした。雪の冷気が流れ込んだ。娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ叫ぶように、 「駅長さん、駅長さん」 明かりをさげてゆっくり吹きを踏んできた男は、襟巻で鼻の上まで包み、耳に帽子の毛皮を垂れていた。 もうそんな寒さかと島村は外を眺めると鉄道の官舎らしいバラックが山裾に寒々と散らばっているだけで、雪の色はそこまで行かぬうちに闇に飲まれていた。 「駅長さん、私です、御機嫌よろしゅうございます」 「ああ、葉子さんじゃないか。お帰りかい。また寒くなったよ」 「弟が今度こちらに勤めさせていただいておりますのですってね。お世話さまですわ」 「こんなところ、今に寂しくて参るだろうよ。若いのに可哀想だな」 「ほんの子供ですから、駅長さんからよく教えてやっていただいて、よろしくお願いいたしますわ」 「よろしい。元気で働いてるよ。これからいそがしくなる。去年は大雪だったよ。よく雪崩れてね、汽車が立往生するんで、村も炊出しがいそがしかったよ」 「駅長さんずいぶん厚着に見えますわ。弟の手紙には、まだチョッキも着ていないようなことを書いてありましたけれど」 私は着物を四枚重ねだ。若い者は寒いと酒ばがり飲んでいるよ。それでごろごろあすこにぶっ倒れてるのさ、風邪を引いてね」 駅長は宿舎の方へ手の明かりを振り向けた。 「弟もお酒をいただきますでしょうか」 「いや」 「駅長さんもうお帰りですの?」 「私は怪我をして、医者に通ってるんだ」 「まあ。いけませんわ」 和服に外套の駅長は寒い立話をさっさと切り上げたいらしく、もう後姿を見せながら、 「それじゃまあ大事にいらっしゃい」 「駅長さん、弟は今出ておりませんの?」と葉子は雪の上を目探しして、 「駅長さん、弟をよく見てやって、お願いです」 悲しいほど美しい声であった。高い響きのまま夜の雪から木魂して来そうだった。
汽車が動き出しても、彼女は窓から胸を入れなかった。そうして線路の下を歩いている駅長に追いつくと、 「駅長さあん、今度の休みの日に家へお帰りって、弟に言ってやって下さあい」 「はあい」と、駅長が声を張り上げた。 葉子は窓をしめて、赤らんだ頬に両手をあてた。 ラッセルを三台備えて雪を待つ、国境の山であった。トンネルの南北から、電力による雪崩れ報知線が通じた。除雪人夫延べ人員五千名に加えて消防組青年団の延人員二千名出動の手配がもう整っていた。 そのような、やがて雪に埋もれる鉄道信号所に葉子という娘の弟がこの冬から勤めているのだと分かると、島村はいっそう彼女に興味を強めた。 しかしここで、「娘」と言うのは、島村にそう見えたからであって、連れの男が彼女の何であるか、むろん島村の知るはずはなかった。二人のしぐさは夫婦じみていたけれども、男は明らかに病人だった。病人相手ではつい男女の隔てがゆるみ、まめまめしく世話すればするほど、夫婦じみて見えるものだ。字際また自分より年上の男をいたわる女の幼い母ぶりは、遠目に夫婦とも思われよう。
島村は彼女一人だけを切り離して、その姿の感じから、自分勝手に娘だろうときめているだけのことだった。でもそれには、彼がその娘を不思議な見方であまりに見つめ過ぎた結果、彼自らの感傷が多分に加わってのことかもしれない。
もう三時間も前のこと、島村は退屈まぎれに左手の人差指をいろいろに動かして眺めては、結局この指だけが、これから会いに行く女をなまなましく覚えている、はっきり思い出そうとあせればあせるほど、つかみどころなくぼやけてふく記憶の頼りなさのうちに、この指だては女の触感で今も濡れていて、自分を遠くの女へ引く寄せるかのようだと、不思議に思いながら、鼻につけて匂いを嗅いでみたりしていたが、ふとその指で窓ガラスに線を引くと、そこに女の片目がはっきり浮き出たのだった。彼は驚いて声をあげそうになった。しかしそれは彼が心を遠く部屋っていたからのことで、気がついてみればなんでもない、向こう側の座席の女が写ったのだった。外は夕闇がおりているし、汽車のなかは明かりがついている。それで窓ガラスが鏡になる。けれども、スチイムの温みでガラスがすっかり水蒸気に濡れているから、指で拭くまでその鏡はなかったのだった。
娘の片目だけはかえって異様に美しかったものの、島村は顔を窓に寄せると、夕景色見たさという風なり旅愁顔を俄かづくりして、掌でガラスをこすった。
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現代日本の今、社会風潮として、美しい日本への憧憬が見られる。それは、戦前の道徳観や修身にあった精神性に思える。
この川端康成による「雪国」は、昭和10年から断章が書き始められ昭和12年に初版本が刊行され、最終的には昭和22年まで書き継がれ完成する。この期間のほとんど、日本は戦争に明け暮れた。社会風潮としては、まさに国家神道の中にあった時期である。そういう思想性において、川端の描いた日本の美は、いかに自由であったか。別の言葉でいえば、時代は、こうした文化思潮に対して、いかに寛容であったかを思わざるを得ない。
この意味でいえば、今ある、戦前の道徳観や修身にあった精神性への回帰は、本来の日本の心とは、まったくの意を異にしたものであるといえよう。 |
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