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爽快倶楽部編集部


2016.5.6
温故知新
「温故知新」を調べてみたら、《「論語」為政から》過去の事実を研究し、そこから新しい知識や見解をひらくこと。[補説]「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」と訓読する。「温」を「あたためて」と読む説もある。なお、「温古知新」と書くのは誤り。(デジタル大辞泉)とあった。論語の中から生まれた言葉であることをはじめて知った。昔の人は実に思慮深い。
さて、最近の思潮のひとつとして、戦前の日本の持って精神性、道徳性、そうしたものを美しい日本として憧憬し、政治・社会・教育の分野に反映させようとする動きがある。美しい日本を想い、その心にふれようとすることは決して悪いことではない。
およそ日本人は、伝統的に自然の美を愛してきた。平安文学から、現代にいたるまでそうした心持はたえることなくつづいている。同時に、それは、明治時代以降、急激に導入された西洋文化思想の下にあっても、なおである。
さて、今、いわれる日本の心は、明治以降にあった西洋文化へのアンチテーゼとしていわれているような気がする。その中には、万葉集、源氏物語、枕草子、方丈記、古今・新古今和歌集などにみれらた日本の心とはほど遠い。何をもって日本の心とし、美しい日本とするのか。戦前の国粋思潮に濃く存在した、いわば儒教的精神性とは、美しい日本の心は相容れないものである。むしろ、国家によって歪曲された不自由な精神を嘲笑うような、おおらかさ、そして諦念というべき死生観(これは、おそらくは日本の仏教思想によるものであろうが)がある。
今、あえて温故知新を唱えるのであれば、日本本来の「故(ふる)き」とは何か、そしてそこに、いかに「新しきを知る」か、よく考えてみるべきであろうと思う。
学校教育に「道徳」を導入し、学校行事に国旗掲揚、国歌斉唱を強制するかごときは、むしろ、美しい日本の心とはほど遠いと思う。この先にあるのは、戦前の「教育勅語」であろう。
国旗掲揚、国歌斉唱は、人々のこころから自然に生まれてくるものである。我々は、まずは、この国をみずから誇れる国にしなければならない。それは、国に殉ずる人々を作り上げることでは決してない。




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