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爽快倶楽部編集部


2014..8.1
熟年者
経済学者、ピーター・ドラッカーの言にこうある。
「定年の必要は実際のところ、年老いたということではない。おもな理由は、若者たちに道をあけなければならないということにある」。
それはその通りであろう。人は永遠に生きるわけではない。若者たちに道をあける、それなくしては未来はない。が、今、先進諸国で、少子高齢化の現象が急激に進んでいる。未来を託し、現在を生きる若者たちが少なくなっているのである。これは、劇的な社会構造の変化である。道をあけても、それを進む若ものたちがいない。経済と同様に、社会全体が老いているのである。が、ここで再び社会を見つめ直すと、新しい現象が見えてくる。かって我々が見てきた「老い」は、かってのものでは決してないことがわかる。老いた人々の群れが、若者以上に社会を支えているのである。金融資産もそうだが、消費の分野でもこれがいえる。「老い」という言葉を使って、あるいは、それをもって「定年」を決めつけることが、よほど不合理な時代になってきている。適当な言葉は見つからないが、あえて言えば老いた高齢者は「熟年者」と呼ぶべきと思う。やがて社会の半数近くを、社会共同体の半数を占めるときがくるかもしれない。彼らは、そのとき「老人」として社会の片隅に生きるわけにはいかない。若者たちと同様に、あるいはそれ以上に、第一線で働かねばならないときがくる。
今、国は、高齢者の増大の中で、社会保障費の拡大に苦しんでいる。ならば、高齢者、そのものに負担させればいい。そのためには、高齢者の収入源を創生すればいい。「熟年者」をボランティアや自治体駐輪場の管理員にしばりつけておくべきではない。




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