TOP>コラム


爽快倶楽部編集部


2014.1.1
A級戦犯
12月26日、安倍首相が靖国参拝を行った。これについて近隣諸国からは非難の声明が出され、最大の同盟国である米国からも安倍首相お政治思想い対して懸念の声があがっている。

靖国神社の由緒とは、
『靖国神社は、明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた東京招魂社が始まりで、明治12年(1879)に「靖国神社」と改称されて今日に至っています。靖国神社は、明治7年(1874)1月27日、明治天皇が初めて招魂社に参拝された折にお詠みになられた「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」の御製からも知ることができるように、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。「靖国」という社号も明治天皇の命名によるもので、「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められています。靖国神社には現在、幕末の嘉永6年(1853)以降、明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされています。』、と靖国神社ホームページに記載がある。
日本が、ここにあるだけの戦争を経験し、それによって多くの戦死者を出したことは、紛れもない事実である。また、そうした戦死者を、神霊として祀ることは、神道の国にとって、ごく自然である。その意味でいえば、靖国神社とは、246万6千余を祀る墓地なのである。1978年(昭和53年)に、A級戦犯の受刑者を「昭和殉難者」と称して合祀されたが、天皇の靖国神社親拝は昭和天皇による1975年(昭和50年)11月21日が最後となっており、この理由について、昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感をもっていたとされる。今上天皇も親拝していない。

さて、A級戦犯とは、太平洋戦争終戦時、ポツダム宣言六條に基づき、「極東国際軍事裁判所条例第五条(イ)項により定義された戦争犯罪に関し、極東国際軍事裁判(東京裁判)により有罪判決を受けた者である」でるとされる。いわば、戦勝国が敗戦国の戦争指導者を裁いて有罪となった者たちである。日本の連合国に対する開戦の理由は多々ある。そしてその理由の中には、日本の国の責にのみ帰せられるだけではないことも、歴史上明らかである。
2003年に行われたイラク戦争の理由として上げられた大量破壊兵器は、米国軍による徹底的な捜索にもかかわらず、見つかっていないし、この間違った戦争によってブッシュ政権は戦争犯罪に問われることはなかった。戦争の大義とは、戦争にかかわる国々の政治状況によって変化するものである。その意味でいえば、太平洋戦争の全責任は、日本だけにあるものではないと、いい得よう。

が、太平洋戦争において、日本の戦争指導者の果たした役割は、対外的なものだけではない。太平洋戦争をあらためて考えてみれば、国力、軍事力、ともに圧倒的優位に立つ米国との戦争は、およそ無謀であり、その遂行には、多大な国民の犠牲を伴うことは、開戦以前より明らかであった。インドシナ半島南方戦線の崩壊の時点で、もはや戦争は遂行不能であったことは、自明の理であった。その状況を無視して、南方諸島での玉砕を繰り返し、沖縄戦、特攻、これほど国軍の兵の命を軽く見た、戦争指導者はいない。さらに、本土爆撃による多大な民間人への損害、そして、広島、長崎への原爆投下、こうした事態を避けることは有能なる戦争指導者ならばできたはずである。この意味でいえば、A級戦犯とは、日本国民への罪であり、本来、日本国民が彼らを戦争指導の責任として裁かねばならぬものである。

A級戦犯が、同じ靖国の社に祀られていること、それにより天皇の赤子として戦死、死して天皇による親拝さへ受けられぬ神霊は、少なくとも喜んではいまい。


謹賀新年
本年もよろしく、お願い申し上げます。




TOP>コラム



Copyright 爽快倶楽部