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爽快倶楽部編集部


2013.8.1
日米修好通商条約
江戸の時代には黒船が来たが、平成の時代にはTPPが来た。
日本人は、歴史から学ぶことが苦手なようである。安政5年6月19日(1858年7月29日)に日本とアメリカ合衆国の間で結ばれた通商条約を結ぶまで、江戸城内で右往左往した諸侯、幕臣たち、結局、米国側の思うつぼにはまった。それと同じことが今、永田町、霞ヶ関で起きているように思える。
100人を超す役人をTPP交渉に連れていっても、彼らに交渉に対する立案能力がなければ何の意味もあるまい。外務省をはじめとする役人諸君に外交交渉の能力がないのなら、いっそのこと野球やサッカーのようにエージェント(代理人)を立てて交渉するほうがいい。条約とは国益の体現であり、国家のビジネスである。必要なのは法律家や役人ではなく、ビジネスマンである。

日米修好通商条約(外務省外交史料館蔵)を記載する。その昔から、米国は交渉上手であったことが読み取れる。たとえば「日本とヨーロッパの国の間に問題が生じたときは、米国大統領がこれを仲裁する。」とある。この一文をもって日本の開港を決意させた。今まさに日本で起きていることである。
他山の石として活用されたい。

第1条
今後日本と米国は友好関係を維持する。
日本政府はワシントンに外交官をおき、また各港に領事をおくことができる。外交官・領事は自由に米国内を旅行できる。
合衆国大統領は、江戸に公使を派遣し、各貿易港に領事を任命する。公使・総領事が公務のために日本国内を旅行するための免許を与える。

第2条
日本とヨーロッパの国の間に問題が生じたときは、米国大統領がこれを仲裁する。
日本船に対し航海中の米国の軍艦はこれに便宜を図る。また米国領事が居住する貿易港に日本船が入港する場合は、その国の規定に応じてこれに便宜を図る。

第3条
下田・箱館に加え、以下の港を開港・開市する[注釈 4] 神奈川:1859年7月4日(安政6年6月5日) 但し、神奈川開港6か月後に下田は閉鎖する

長崎:同上
新潟:1860年1月1日(安政6年12月9日)新潟の開港が難しい場合は近くの他の港を開く
兵庫:1863年1月1日(文久2年11月12日)
江戸:1862年1月1日(文久元年12月2日)開市
大坂:1863年1月1日(文久2年11月12日)開市

これら開港地に、米国人は居留を許され、土地を借り、建物・倉庫を購入・建築可能である。但し、要害となるような建築物は許されない。このため、新築・改装の際には日本の役人がこれを検分できる。
米国人が居留できる場所(外国人居留地)に関しては、領事と同地の役人がその決定を主なう。両者にて決定が困難な場合は、日本政府と公使の討議によって解決する。居留地の周囲に囲い等を作ることなく、出入りを自由とする。
江戸・大坂には商取引のための滞在(逗留)は可能であるが、居留は認められない。
両国の商人は自由に取引ができる。役人が介在することはない。
日本人は米国製品を自由に売買し、かつ所持できる。
軍需品は日本政府以外に売ってはならない。但し、日本国内において他の外国に軍需品を売ることは可能である。
米・麦は船舶乗組員の食用としては販売するが、積荷として輸出することは許されない。
日本産の銅は、余剰がある場合にのみ、日本政府入札品の支払代金として輸出可能である
在留米国人は、日本人を雇用することができる。

第4条
輸出入品は、全て日本の税関(運上所)を通すこと。
荷主の申請に虚偽の疑いがある場合は、税関が適当な額を提示してその荷の買取を申し出ることができる。荷主はその値段で売るか、あるいは提示金額に該当する関税を支払う。
米国海軍の装備品を神奈川・長崎・函館の倉庫に保管する場合は、荷揚げ時点で税金を支払う必要はない。但し、それらを売る場合には所定の関税を支払う。
阿片の輸入は禁止する。もし米国商船が三斤以上を持ってきた場合は、超過分は没収する。
一旦関税を支払った輸入品に関しては、日本国内の他の場所に移送した場合に追加の税金をかけてはいならない。
アメリカ人が輸入する荷物には、この条約で定められた以外の関税がかけられることはない。

第5条
外国通貨と日本通貨は同種・同量での通用する。すなわち、金は金と、銀は銀と交換できる。
取引は日本通貨、外国通貨どちらでも行うことができる。
日本人が外国通貨になれていないため、開港後1年の間は原則として日本の通貨で取引を行う(従って両替を認める)
日本貨幣は銅銭を除き輸出することができる。外国の通貨も輸出可能である。

第6条
日本人に対し犯罪を犯した米国人は、領事裁判所にて米国法に従って裁かれる。アメリカ人に対して犯罪を犯した日本人は、日本の法律によって裁かれる。
判決に不満がある場合、米国領事館は日本人の上告を、日本の役所は米国人の上告を受け付ける。
両国の役人は商取引に介入しない。

第7条
開港地において、米国人は以下の範囲で外出できる。 神奈川:東は六郷川(多摩川)まで、その他は10里。
箱館:おおむね十里四方。
兵庫:京都から10里以内に入ってはならない。他の方向へは10里。かつ兵庫に来航する船舶の乗組員は、猪名川から湾までの川筋を越えてはならない。
長崎:周辺の天領。
新潟:後日決定。

但し、罪を犯したものは居留地から1里以上離れてはならない。

第8条
アメリカ人は宗教の自由を認められ、居留地内に教会を作っても良い。
アメリカ人は日本の神社・仏閣等を毀損してはならない。
宗教論争はおこなってはならない。
長崎での踏み絵は廃止する。

第9条
居留地を脱走したり、裁判から逃げたりした米国人に対し、米国領事は日本の役人にその逮捕・勾留を依頼することができる。また領事が逮捕した罪人を、日本の獄舎での勾留を求めることができる。
米国領事は、居留・来航した米国人に対し、日本の法律を遵守させるように努める。
日本の獄舎に米国人を勾留した場合は、その費用は領事館が支払う。

第10条
日本政府は、軍艦、蒸気船、商船、捕鯨船、漁船、大砲、兵器の類を購入し、または作製を依頼するため、米国人を自由に雇用できる。学者、法律家、職人、船員の雇用も自由である。
日本政府が米国へ注文した物品は、速やかに日本に送付する。
米国の友好国と日本の間に戦争が起こった場合は、軍用品は輸出せずまた軍事顧問の雇用も認めない。

第11条
附則である貿易章程も、本条約同様に両国民が遵守しなければならない。

第12条
日米和親条約および下田協約の内容で、この条約の内容と異なる部分に関しては、この条約によって置き換えられる。

第13条
条約内容は1872年7月4日に必要に応じて見なおす。その場合には1年前に通達を行う。

第14条
本条約は1859年7月4日より有効である。
条約批准のために日本使節団がワシントンを訪問するが、何らかの理由で批准が遅れた場合でも、条約は指定日から有効となる。
条約文は、日本語、英語、オランダ語にて作成し、その内容は同一であるが、オランダ語を原文とみなす。
本条約を1858年7月29日に江戸にて調印する。




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