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爽快倶楽部編集部


2013.7.1
「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。たましきの都の内に、棟を並べ、甍を争へる、高き、いやしき、人の住まひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中にわづかに一人二人なり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづ方より来たりて、いづ方へか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。」

方丈記の冒頭である。仏教のいう「無常」であろうか。
人は生まれ、育ち、学問を得、社会に巣立ち、一家を構え、子を育て、やがて老い死んでゆく。これだけである、世の中はこれの繰り返しである。人は生きている間、幸せを得ようとして葛藤する。これを欲といえば欲である。欲があるから葛藤する。この自明のことを知りながら欲を捨てることができない。一方で、欲がなければ、なんの人生であろかとも思う。何かをしたい、何かになりたい、こう思わなければ、これほど退屈な人生はあるまい。
欲、葛藤、煩悩、これもまた人の生き方である。幸、不幸は裏表である。

ところで、人は「無常」のなかだけで生きるのではない。人をもっとも幸福に導くもの、それは愛であろう。人はよくいう。愛だけでけでは生きられぬと。が、愛がなければ生きる価値がなかろう。永劫の時の流れの中ではわれらの人生は一瞬のはかなさである。その一瞬に満足するのが愛である。
やがて来る終わりのときに、わが人生に悔いなしといえるかどうか、家族や友にありがとうといえるかどうか。
残された人生、さて、どう生きるか。




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