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爽快倶楽部編集部


閑話休題
2012.11.1
政治について書こうと思ったが、あまりにばかばかしいのでやめた。今回は原発について書こうと思う。
原発は、その名の通り放射性物質の核分裂によって起こる熱を利用して発電する施設である。この核分裂が急激に起これば、かの原子爆弾と同じになる。そこで原発では、この核分裂を緩やかに起きるように設計されている。もちろんの制御ができなくなれば、福島原発で起きたことになる。原発とは本来そういうものである。
原発には、もうひとつ別の側面がある。いわゆる使用済み核燃料の保管である。一般に原子炉内で作られる、プルトニウムの半減期は、24000年、従って放射能量が半分になるには、24000年かかる。さらに、 人体に害がないレベルに達するにはおよそ10万年から20万年程度かかることになる。今、日本の原発にある核燃料は、少なくも10万年は保管しなければならない。10万年前を考えてみると、中期旧石器時代の始まる頃である。その頃の人類では、ヨーロッパ・中近東・中央アジアいたとされるアンデルタール人である。彼らは石器を残したが。核廃棄物は残さなかった。感謝すべきことだろう。10万年後の人類が地球上の存在しているかどうかがわからないが、仮にいたとすれば、現在の我々が作り出した使用済み核燃料をやはり保管しているに違いないと思う。未来の人々は、この核燃料を前にして、いったい何を思うだろう。少なくと、現在の我々が石器を前にして思うこととはまったくちがうことにちがいない。
原発とは少なくとも、これから10万年もの間、人類を危険にさらすことに他ならない。それでも、なおかつ原発が必要とするなら、10万年間の安全の責任を負うことである。原発を必要と主張する諸君は、この10万年の責任をどう負うのだろうか、聞いてみたい。
現在の原発が事故を起こせば、その被害は我々にくる。因果応報である。それはしかたがないことである。
だが、使用済み核燃料は未来の問題である。原発とは、未来の人類に対して責任を負うことである。
もしかしたら、人類は、これから数百年後、数千年後、宇宙のどこかから、放射性物質で人類が住めなくなった地球を眺めているのかもしれない。
編集主幹 伊藤秀雄




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