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小沢一郎 |
2012.5.1 |
小沢一郎氏元民主党代表が、政治資金報告書の虚偽記載に関する検察審査会の強制起訴によって行われた裁判で第一審無罪となった。この判決について、与党内部、各野党、政治評論家、ニュースコメンテーターなどから多くの意見が出ている。概ね一致するところは、たとえ無罪であろうと政治資金の透明性が証明されたわけではない、要するにほとんど有罪に近い無罪ということである。政治家の道義的責任という観点ではその通りかもしれない。だが、政治家には、本来道義なるものがあるのかと問えば、いささか疑問に思う。
国会議員は選挙区の選挙権者の投票によって国会に送り出される。選挙民は、それが個人的利益であろうと公益であろうと、直接、間接的利益をもたらす候補者に投票する。選挙による当選者とは、すなわち選挙民の利益の代表者である。それが国会議員である。選挙民の利益をより大きく実現する政治家の道義的責任とは何か、それは選挙民の道義と同じ意味を持つ。もちろん、公金横領、あるいは収賄などの犯罪行為は重く罰せられねばならない。それは紛れもない犯罪だからである。
今回の裁判では、政治資金報告書の虚偽記載に関して小沢氏本人の犯罪的事実を特定し、立証することができなかった。この意味において、小沢氏は本来完全無罪である。その完全無罪に対して、裁判所は道義的責任を問う判決文を書いた、世情に配慮した結果である。ここには法的には完全無罪であるが、その無罪を言い渡さねばならない葛藤が見える。それが、検察による証拠の捏造を大きく非難するも、その証拠にもとづく検査審査会の起訴議決は有効としたことにも見える。
さて、小沢氏は多くの人々が論ずるような巨悪であろうか?
小沢一郎の略歴は以下の通りである。(小沢一郎ウェブサイトより転載)
生年月日 :昭和17年5月24日
本籍地 :岩手県奥州市(旧水沢市)
昭和42年 3月 慶応義塾大学 経済学部 卒業
4月 日本大学大学院 入学
昭和44年 12月 衆議院議員 初当選
昭和45年 1月 〜 昭和46年7月 文教委員会 常任委員
昭和45年 11月 〜 昭和50年2月 災害対策特別委員会 理事
昭和47年 11月 衆議院議員 当選(2)
昭和50年 12月 〜 昭和51年9月 科学技術政務次官
昭和51年 12月 衆議院議員 当選(3)
昭和51年 12月 〜 昭和52年11月 建設政務次官
昭和53年 1月 〜 昭和55年5月 建設委員会 理事
昭和53年 1月 〜 昭和53年12月 自民党 政調科学技術部会長
12月 〜 昭和56年12月 自民党 政調水産部会長
昭和54年 3月 〜 昭和57年2月 自民党 岩手県連合会 会長
10月 衆議院議員 当選(4)
昭和55年 6月 衆議院議員 当選(5)
昭和56年 12月 〜 昭和57年11月 自民党 政務調査会 副会長
昭和58年 12月 衆議院議員 当選(6)
昭和58年 12月 〜 昭和60年12月 議院運営委員長(2期)
昭和60年 12月 〜 昭和61年6月 自治大臣 国家公安委員長
昭和61年 7月 衆議院議員 当選(7)
昭和62年 12月 〜 平成元年6月 内閣官房副長官
平成元年 8月 〜 平成2年1月 自民党幹事長(1期)
平成2年 2月 衆議院議員 当選(8)
平成2年 2月 〜 平成2年11月 自民党幹事長(2期)
12月 〜 平成3年4月 自民党幹事長(3期)
平成5年 6月 〜 平成6年11月 新生党 代表幹事
7月 衆議院議員 当選(9)
平成6年 6月 懲罰委員会
平成6年 12月 〜 平成7年12月 新進党 幹事長
平成7年 12月 〜 平成9年12月 新進党 党首
平成8年 10月 衆議院議員 当選(10)
平成10年 1月 〜 平成15年9月 自由党 党首
平成12年 6月 衆議院議員 当選(11)
平成15年 9月 26日 民主党に合流
平成15年 11月 衆議院議員 当選(12)
平成15年 12月 〜 平成16年5月 民主党 代表代行
平成16年 11月 〜 平成17年9月 民主党 副代表
平成17年 9月 衆議院議員 当選(13)
平成18年 4月 〜 平成21年5月 民主党 代表
平成21年 8月 衆議院議員 当選(14)
平成21年 9月 民主党 幹事長
この経歴を見る限りにおいて、小沢氏は傑出した政治家に他ならない。自民党長老を始め、民主党の各実力者と比べればその資質の違いは明白である。私はあえて言いたいと思う。仮に彼が巨悪であったとしても、戦後政治の中に溜まった官僚政治の澱を一層しうるのは彼しかいないと。
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編集主幹 伊藤秀雄 |
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