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爽快倶楽部編集部


平成23年12月1日
師走妄言
今年ほど、人間の無力さを思い知らされた一年はなかった。3月の大地震の際には、震源とは遙かに離れた東京でさへも、足元の大きな揺れに為すことなく立ち尽くした。その後の震源地近くに押し寄せた大津波が巨大な防波堤を越え、建物、車、人々を押し流す様をテレビで見たとき、人々は、高台やビルの屋上から、さながら映画のシーンのように見続け、為す術を持たなかった。福島第一原発では、地震の揺れや津波の浸水によって原子炉冷却装置の電源が喪失し、原子炉内部が溶融した。それによって水素爆発をを起こし大量の放射性物質を放出した。それは、国内の原発事故史上、最悪の結果となった。津波に対する防波堤、さらに原発における耐震において、人はその対策を必要十分と判断していたが、それらはあっけなく全否定された。
旧約聖書「創世記」にバベルの塔の物語がある。一般にこれは、人類が塔をつくり神に挑戦しようとしたので、神は塔を崩したと解される。この解釈に従えば、大堤防や原発はバベルの塔であったかもしれない。
人は自らの技術を信じ自然にたち向かおうとする。それが文明の発展に寄与したことは疑いないが、一方で、自然と対峙することは破壊につながり、その破壊によって滅んだ文明があることも歴史が示すところである。
前世紀において人は、月に降り立ち、太陽系の果てまで観測衛星を到達させた。が、宇宙は、人が永遠に見る事ができない地平線の彼方にも存在することを知っている。宇宙には不可知のことがある。
人は、今、神からの新たな問いの前に立たされている。この大宇宙の中の点というべき地球において、その自然とは何か、人はどれほど自然を知り得たのかを、謙虚に学び直すときである。
爽快倶楽部 編集長 伊藤秀雄




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