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爽快倶楽部編集部


平成23年4月1日
想定外
災害は忘れた頃にやってくる。まさにその通りである。
今回の地震被害において、三陸海岸の地域の自治体及び福島原発から想定をはるかに超えた規模の津波という言葉が多く聞かれた。巨大な津波は防波堤を越え、大きく破壊し、町に流れ込んだ。家々を丸ごと飲み込み押し流したのはもちろんのこと、ビルの4階に達する潮位であったところもある。津波避難の想定では3階に上がればほぼ安全とされてきたが、それを遥かに越えた。ここには、いわゆる学識や常識を越えた自然の姿がある。
今回、こういう話がある。少し長いが引用させていただく。
『津波襲来時、大船渡市の大船渡小(柏崎正明校長、児童268人)と越喜来小(今野義雄校長、同73人)は状況に応じた対応で、児童全員が生き延びた。事前の想定を大きく上回る津波を前にマニュアルにとらわれない学校の判断が、児童の命を救った形だ。越喜来小は第1避難所に三陸駅、第2避難所に南区公民館を設定。通常は揺れが収まってから避難するが、今回はあまりにも揺れる時間が長すぎた。細心の注意を払いながら、揺れている間に避難を開始した。大津希梨さん(4年)は「大きな揺れのときにしゃがみ、小さい揺れのときに急ぎ足で逃げた。揺れが止まるのを待っていたら波にのまれたかもしれない」と振り返る。大きな揺れに泣きだす子もいたが、昨年整備した県道との連絡通路などを使って避難。校舎を破壊する津波の猛威に危険を感じ、南区公民館からさらに背後の山に登らせた。遠藤耕生副校長は「津波到達まで30分ないと想定すると、揺れが収まってからでは間に合わないと思った。校舎が壊れることも考えた」と説明する。大船渡小は学校が近所の住民も逃げてくる避難場所。11日も地震発生後、児童はマニュアル通り校庭へと避難した。ところが、津波が街をのみ込みながら、迫るのが校庭から見えた。柏崎校長はさらに高台にある大船渡中への移動を決断。児童は校門より山手のフェンスをよじ登り、1、2年生は教職員が持ち上げた。全児童が避難後、津波は校庭をのみ込み校舎1階に浸入した。柏崎校長は「まさか地域の避難所であるここまで津波が押し寄せるとは。それでも児童は冷静に行動した」と語る。(岩手日報)』
想定されていた津波の規模と、それによる地域の避難所、津波はそれをも飲み込んだ。もし、ここで彼らが想定という頑迷にあったなら、子供達は津波に襲われていたに違いない。これは、津波を前にしての機転が多くの命を救った例である。
福島原発は、地震発生と同時に原子炉は緊急停止したという。想定通りに保護機能が働いたことになる。その後に起きた津波による浸水によって電源が機能停止し、原発に最も必要である冷却機能が失われた。その結果は、まさに現在進行中の通りである。原発の安全に関わった識者は云う、これほどの津波は想定していなかったと。確かに今回の地震規模、津波の規模ともに想定をこえたものであったろう。だが、電気で動くものは水を被れば使えなくなるのは自明の理である。これは電気の初歩である。この対策ができていないとは、いかなる安全対策であったか。原発の安全性においては、想定外は許されない。絶対安全と云い建設し、事故が起きれば想定外という。これは絶対の安全とはいわない。
災害は、常に想定を超えて起こる。いいかえれば、想定を超えるからこそ災害となる。
爽快倶楽部 編集長 伊藤秀雄




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