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爽快倶楽部編集部


平成22年6月1日
一言九鼎
一言九鼎、 国を左右するほど重みのある貴重な一言を云う。すくなくとも県外、その言葉の重みに現政権が押しつぶされようとしている。米軍基地を沖縄県外に移設すること、決して容易ではない。表面的に見れば、まず、それを受け入れる他の県がどこにあるか。その騒音、治安上の問題、有事の際の危険性、それらがすべての県に尻込みさせる。国民を、あるいは国家を守る軍隊を、誰一人として歓迎しない、これが現実である。思えば不思議である。誰もが軍隊は心の隅で必要と考えているにも拘わらず、いざ、わが町にとなれば、誰も容易に受け入れない。もちろん、もし、眼前に敵国軍隊が展開し、今にも侵攻してくるような状況であれば、状況は全く逆で、我が町を守る軍隊として歓呼の声をもって迎え入れよう。だが、今は、そうした危機を誰も感じていない。それだけ平和であると云うことだ。もちろん、それはそれで実に結構なことである。そうした時代だからこそ、単に抽象的な抑止論を唱えるだけでは、軍隊を現在ある所から他に移すことは一朝一夕にできることではない。この国内事情に加えて、在日米軍はあくまでも米国の軍事世界戦略の一環である。他国の軍事戦略を変更すること、これもまた、至難の業である。
沖縄県民の戦前、戦後と続いた軍隊をめぐる苦しみは、現政権が云うまでもなく、見過ごすことのできない国民全体の問題である。実際、旧自民党政権において、まるで棄民政策のように沖縄にこの苦しみを押し付けてきたことの無為への感情的反発、新政権の誕生、これを考えれば、少なくとも県外と口をすべらせた事情は理解できないわけではない。だが、軍の配備は国の防衛の基本政策である。これを、単なる感情論では為しえないこと、自明の理である。
沖縄の米軍基地を、現在の日米安保条約下で県外あるいは海外に移設すること、これには米軍と自衛隊とのより密接な戦略的関係構築、同時に日本国憲法で制限している集団的自衛権の発動、自国の核武装まで及ぶ問題となろう。問題の根は、実に深いところにある。この検討なくしては沖縄の基地問題の本質的解決はない。もっとも、いかなる軍隊も持たない国となる、あるいは国際情勢下においてそれが許されるのであれば、話は別だが。
一言九鼎、沖縄米軍基地県外移設とは、まさに 国を左右するほど重みのある貴重な一言である。一国の総理たる者、この意を知り、また、国民に問うて初めて、沖縄県民の期待に応え得よう。
爽快倶楽部 編集長 伊藤秀雄




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