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爽快倶楽部編集部


平成21年6月1日
煮魚と墓参
どうも私は親不孝である。できれば祥月命日に亡父へ墓参したいと思うのだが、なかなかできない。春と秋の彼岸には行くが、その他の月には、思うもののなかなか腰が上がらない。実に申し訳ないと思っている。もっとも先に逝った父へ、俺もそのうち行くからなとの思いもあって、今会わずとも、やがていやと云うほど、あの世で会える、そんな気もしないではない。
ところで、父が死んだとき、自分は一滴の涙もこぼさなっかた。われながら薄情な人間なのかもしれぬと思ったが、よくよく自分の心を考えると、どうも自分は父の死を受けいれることができていないようである。還暦間近にして親離れができていないのかもしれぬ。父の死からおよそ1年半、今でも時々、ふと父からの電話の音がなるような気がする。人のよい笑顔が思い浮かぶ。実家に帰れば、おう、来たか、元気かと声をかける父の姿が思い浮かぶ。他人はどうか知らないが、父は今でも生きているような気がしてならない。私の心の中で生きている。自分はこれでいいと思っている。
父の墓は横須賀佐島にある。相模湾を臨む高台にあって晴れた日には富士山が見える。ここを墓としたのは、日当たり、風通し、景色が良いのが主な理由だが、実はこの佐島の港近くに父とよく行った魚料理屋がある。父はそこの煮魚をとても好んだ。甘辛く煮付けた金目鯛である。家族と墓参に行くときは、うまい魚を食わせると食い物でつって引き連れて行く。墓参し、父が舌鼓を打った料理屋で父と同じ魚料理を食う、そうすると生前、父が実にうまそうに魚食っていた笑顔をが浮ぶ。楽しい思い出である。
爽快倶楽部 編集長 伊藤秀雄




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