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爽快倶楽部編集部


平成21年2月1日
衣食足りて礼節を知る
聖書マタイの福音書には「人はパンのみに生くるにあらず」とある。人は神の声によって生かされているという意味である。が、パンなくしては人は生きることはできない。中国の「管子」には「衣食足りて礼節を知る」とある。国を治めるには民の生活の安定を図ることが第一であり、民の生活が安定することによって人々の道徳意識が高まり、国もまた治まる。

日本の戦後はわずかな米で粥を作り、芋の蔓さえ口に入れ飢えをしのいだことから始まった。貧困という言葉が単なる言葉ではなく、町のそこかしこに現実としてあった。故に戦後の日本は「衣食足る」ことを大きな目標として進んできた。やがて国民総中流となり、人々は住む家を持ち、飢える者の影がみえなくなり、つぎはぎの服を着るものもいなった。衣食足った時代となった・・・そう見えた。

今、テレビのニュース番組は百年の一度の不景気と声高に叫び、新聞は同様に書きたてて人々の不安を煽り立てる。実際、多くの派遣労働者と呼ばれる人々が職を失い、同時に住む家を失った。これは不思議なことである。現代において職を失ったその日から住む家を失い、生計が立ち行かなくなる。何故、そうした時のために蓄えを持たなかったのかと云う人もいる。勿論そうすることは社会人として当然の生活の仕方であろう。現実には、その蓄えさへもできぬ収入であったことは事実としてある。さらに爪に火をともすように蓄えよと云う人もあるかもしれない。が、この飽食の時代にそれはできまい。人並みの生活を望むことを否定することは酷であろう。

これは、そこに働く人々だけの問題ではない。以前も派遣労働あるいは日雇い労働というものがあった。だが、それらは職も限られており、同時に経済成長期にあって、仮に一つの職場を去っても仕事を失うことは少なかった。今は、およそ全産業にこの労働形態が浸透している。その要因は明らかに国による派遣労働規制の不用意な緩和である。これにより企業は人件費削減を多いに利益を上げたが、反面、派遣労働として働く者にとってはすこぶる不利な条件となった。

ITバブルの時代、会社は誰のものかという問が出た。資本主義社会であり、株式会社である限り、当然株主のものであろう。それは誰も否定できないい。が、会社は同時に社会的存在であり、社会に暮らす人々なくしては存在できまい。会社を支えるのはまずそこで働く労働者であり、その会社の生産物を購入する消費者である。会社はまず消費者に目を向け、社で働く労働者に目を向けねばならぬ。会社は派遣労働者による人件費削減によって一時的に利益は上がられよう。が、定着せぬ労働において技術の蓄積はできまい。資源の乏しいわが国においては、技術こそ国の宝である。現在の派遣労働制度はこの国の宝を自ら捨て去っているように見える。
爽快倶楽部編集長 伊藤秀雄




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