平成20年4月1日 |
主が見えない官邸 |
|
先月は、私事ながら父のことを書いた。書きたかったので書いた。誰にでも死はやってくる。遅かれ早かれやってくる。以前は知人の父君や母君の葬儀に何度か参列したが、今回は自分が喪主として葬儀を行った。葬儀の際、何人かの友人が葬儀を手伝ってくれた。その手伝いも有難ったが、何よりも普段と変わらぬ自分への接し方が有難かった。時に見せてくれる笑顔が嬉しかった。父は享年83歳、今少し生きて欲しかったと思わぬでもなかったが、大往生であろうと思う。
さて、本題に入りたい。突然の安倍首相の辞任の後、政権を継いだ福田内閣、当初はその実務派としての期待が大であった。が、これまでの実績をを眺めてみると、この政権はどうもすべてが他人事、人任せ、そんな印象を受ける。福田氏は本来派手な性格ではないことはわかっている。彼に小泉氏のような派手なパフォーマンスを期待する人はいまいと思う。それにしてもである、国会、内閣運営を見ていると、その政権としての主体性が見えてこない。今回、問題となっている道路特定財源にかかわるガソリン暫定税の問題でもしかりである。国交省大臣は、役人の用意した答弁書をそのまま読んで済まそうとしている。最近の福田首相のよる記者会見の内容も表現は違うとしても、その域を出ない。
彼の自民党総裁となった経緯を思い起こしてみると、安倍政権を継ぐものとして自民党各派閥の推挙によるものであった。もちろん他の候補者も存したが、実際の総裁選が実施されるにあたってはほ福田総裁が決していた。そこには、彼の戦って総裁を勝ち取るではなく、推されて総裁となる姿勢があったといえる。従って、彼の口から自らの政権運営指針は出たことはない。これは、現在もそうである。
何もしない、何も語らない、ただ担がれているだけの総理大臣を持つ国は奇妙である。さらに奇妙なのは、それでもなお行政がある程度機能していることである。それは戦後政治を支えてきた官僚行政が存在しているからである。官僚制をめぐっては、そのものが悪いかどうかは別の議論があるとしても、戦後の混乱期、復興期を官僚行政が支えてきたことは事実であり否定はできない。だが、昭和が終わり、平成も20年を経過した今、かっての官僚制が機能不全を起こしていることは間違いない。福田内閣は、この機能不全の官僚組織に乗ってあることが、、その致命的問題なのである。福田首相自身、そのことに気付いてもいない。
官邸の次の主に誰がなるのかはわからない。が、今はその次の主が、自らの政治信念に従って、自らの声で政治を語り、官僚行政とは一線を画す政治を行うことを切に希望したい。そのことによってのみ、莫大となった国家の負債および少子高齢化社会のための新しい政治プログラムが生まれよう。 |
爽快倶楽部編集長 伊藤秀雄 |
|