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爽快倶楽部編集部


平成19年3月1日
世界はいま−黒船再来
戦後世界を鳥瞰してみる。
第二次世界大戦後の世界は、米・西欧を核とする自由主義圏と旧ソ連の共産主義圏に二分された。この緊張関係のもとにあって、前世紀末、ソ連が崩壊するまでの間、米ソによる冷戦構造が続き世界各地でその覇権をめぐる様々な代理戦争が行われた。そして現在、ソ連崩壊後の世界では、米国のみが突出した軍事大国となり今も多くの地域に介入し軍隊を送り続けている。
かっては介入の理由として掲げられたのは自由主義圏の擁護であった。今、米国はこう主張する − 軍事的緊張関係の緩和、人権問題の回復、国際的テロリストとの戦い、それによって世界に平和をもたらすと。だが、その実態は平和とは程遠いのが現実である。介入を受けた国々では、むしろその国内で民族同士の紛争が拡大し多くの国民の命が奪われている。これが現実である。
およそ国家には国連憲章に定められた民族自決権が存在する。その国の国民が経済・社会・文化的発展を自由に追求する権利である。軍事介入はこの権利を著しく破壊する。平和をもたらすための軍事介入はこの民族自決権を明らかに犯している−といえる。
何故米国は自らの大きな人的犠牲、戦費を費やして軍事介入をするのであろうか。国益という言葉がある。米国の国益とは何であるのか。米国は世界最大のエネルギー消費国として自国の石油資本を擁護し、また同時に世界最大の兵器生産国として、自国の軍需産業を擁護する。これが、米国の国益であり、世界戦略の−単純な見方ではあるがもっとも真実に近い−本質である。利のないところに人は動かぬと同様に国家も益のないところでは動かない。

今、日本は集団的自衛権行使の体制を米国から求められている。米国の軍事世界戦略に日本の自衛隊を組み込もうとする動きである。自民党並びに政府では現憲法下において可能、憲法改正によって初めて可能という両論が立っている。これはどちらにおいても日本が米国や他の国のように他国の領地内に軍隊を派遣し、戦闘行為を行うことを前提とした議論である。これを、日本が普通の国になるという言葉で表現しているが、自国の防衛における専守防衛とはちがう。

常識論にもどって考えてみれば、戦後米国による占領統治の後、サンフランシスコ条約による独立の回復、そして日米安保条約の締結の流れの中で、幸いにも日本は海外の戦闘に加わることはなかった。そのことによって戦後の奇跡的な経済復興を行うことができた。これは明らかに米国の極東軍事戦略のもたらした結果である。一方、米国は安保条約にもとづく軍事的擁護の代わりに多くの親米政策を日本に要求してきた。昨年の郵政民営化もその一環である。経済が国際化し、例えば日本の自動車産業、工作機械産業、半導体電子産業は米国市場がなければ成り立たない、それも事実である。それ故にこそ、米国は軍事・経済の分野において日本の寄与を期待する。さらに、現在も安保条約にもとづく米軍基地が日本各地に存在し、寄港する米国艦船には核兵器が積まれている。日本は間接的な核保有国である。日本を攻撃することは在日米軍を攻撃することに等しい。この事実さへ考えてみれば、戦後日本が米国に対して「No!と言えない」日本であったことは自明の理である。卑近な例を言おう。かって小泉政権下にあって政権の立役者である田中真紀子氏が外務大臣を更迭されたことがあった。外務省との軋轢がその理由とされているが、彼女の政治観の米国軽視、親中が米国の逆鱗に触れただけのことである。
では、日本はどうするべきなのか。

世界に乗り遅れてはならない−という考え方は最近起きつつある。汗を流し血を流さねば普通の国にはなれぬという。
では、我々は普通の国になることを望むのか、血を流す国になることを望むのか。

今、国民の関心は格差是正、年金問題、政府・地方自治体改革と内政に向けられているが、国家百年の大計を決めなければならぬ大事な時である。幕末、黒船の号砲で日本が否応なしに鎖国から目覚めさせらたのと同様に、日本は集団的自衛権行使か否かの決断を現代の黒船によって迫られていること真剣に考えるときが来たようである。
爽快倶楽部編集長 伊藤秀雄




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