平成19年2月1日 |
企業不祥事に思う |
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戦後、我等子供時代にあって不二家の洋菓子は、それを買うこと、食べることが大きな喜びの一つであった。不二家の洋菓子にはいわゆる駄菓子屋の菓子類とはことなった洗練された響き感じられた。その不二家が築き上げた栄光を失おうとしている。すべては企業収益を上げるため賞味期限を切れた材料を使い、法で許された以上の細菌を自らの製造マニュアルで許し、時には製造工場内で鼠が駆け回るという衛生状態で洋菓子は作り続けられたという。
事は不二家だけではない、かっての雪印、三菱、いすず、最近では耐震構造計算改ざんなど、企業の反社会的行為は幾重にも存在する。ライブドア事件、村上ファンド事件における反社会的行為もそれらと根は一緒であろう。すべては企業収益を上げるためなら何をやっても良いという軽薄な思考が社会正義に優先して存在する。法を犯さないまでも、法を犯さなければ、法の不備を狙いすまし横車を押してまで金儲けをしようとする。ここには企業人としての社会正義、社会道義を重んじる心は一切ない。
企業とは、利益を出さねばならない。利益を出して初めてそこで働く社員に給与が払え、株式会社であれば株主に配当金を払うことができる。そしてそこから残った利益から税を収め、剰余金を次なる発展のために使うことができる。利益を出すことは決してまちがったことではない。が、その利益が社会に還元されてはじめて、その企業の社会性が存在しうるのであり、利益を出すための反社会的経営は、自らの社会性的存在を否定することに他ならない。それ故、この反社会的経営は、利益を産み出そうとしながら多くの利益を失う結果となる。企業経営者の多くは、この単純な事実に気気付くべき時であろう。
渋沢栄一はかってこう言った。
「私は、実業家の中に名をつらねながら、大金持ちになるのは悪いと考えている。人情としては誰でも他人より多く蓄積したいと苦心するのが普通であるが、この多いということには際限がない。極端に考えて、もし一国の財産をことごとく一人の所有物としたら、どういう結果をきたすであろう。これこそ国家の最大不祥事ではあるまいか。このように際限のない欲望に向かって欲をたくましくする者が続出するよりも、むしろ知識ある、よく働く人を多く出して国家の利益を計るほうが万全の策であると思う。一人が巨額の財産を築いてもそれが社会万民の利益となるわけでもないし、ようするに無意義なことになってしまう。無意義なことに貴重な人間の一生を捧げるというのはばかばかしいかぎりで、人間と生まれた以上はもう少し有意義に人生を過ごすべきであろう。実業家として立とうとするならば、自分の学術知識を活用し、主義に忠実に働いて一生を過ごせば、そのほうがはるかに価値のある人生である。」
これこそ現代の経営者、為政者にも読み深く噛みしめて欲しい企業経営、企業政策の精神である。 |
爽快倶楽部編集長 伊藤秀雄 |
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