平成18年2月1日 |
時代の寵児の凋落-ライブドア事件の背景にあるもの |
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ライブドアのホリエモンこと堀江貴文が東京地検特捜部によって逮捕された。経済界を始め政界を含めての大騒動である。容疑の立証はこれからだが、関連会社による証券取引法における偽計取引及び風説の流布が主な理由である。だが、やがてライブドア本体の粉飾決算の摘発に捜査の手は伸びよう。
日本放送の株買占めに始まり、近鉄バッファーローズの買収、衆議院議員選挙への立候補など、まさに時代の申し子ともてはやされてきた彼の逮捕とはどんな意味を持つのか。一般のメディアとは違った角度から考えてみたいと思う。
検察はなぜ、ライブドアという会社をターゲットにしたのか。この疑問を解かねばならない。
バブル崩壊以降、低迷してきた日本経済はここ1〜2年でようやく上昇傾向を見せ始めた。その理由として冷え込んだ消費に対する収益低下回復のための企業努力、リストラを含めた経営再建がある。同時に、官主導のゼロ金利政策による金融資本の不良債権処理も一定の功を奏したと言える。またIT企業の成長も理由の一つとしてある。こうした要因が複合して経済回復につながった訳だが、政府は自らの政策の成果と強調している。ここに、今回の検察の動きを解く一つの鍵がある。
先の選挙では自民党の未曾有の勝利の終わった。郵政民営化選挙とは、行財政改革をターゲットとしたスローガンである。小泉内閣は、当初から族議員に依存せず、官邸と官との二人三脚で政策を立案し実行してきた。だが、あまりの大勝のために、小泉内閣は盟友たる官そのものの改革へ向わざるを得なくなった。有権者にとっては、それこそ小泉内閣に期待し歓迎すべきところであるが、官には小泉内閣の経済政策、規制緩和に協力し実現してきたのは自分達であり、自分達なしには小泉内閣は存在しえなかったという自負がある。改革とは官の権限縮小と政治意思の攻めぎ合いである。官はこれを、自らの手の内から離れ、自らに刃を向ける裏切りと認識している。
ライブドアのホリエモンとは、先の選挙における大看板であった。実際、小泉行政内閣の中核をなす武部幹事長、竹中平蔵現総務大臣が、公認候補者ではないが、選挙地まで出向き最大限の支援を行っている。小泉内閣のすすめてきた景気回復政策とは、基本的に市場原理主義であり、その市場原理主義の旗手としてホリエモンがあった。即ち、ライブドアの経営手法を事件化することによってホリエモンの社会的権威を失墜させることとは、官を裏切り始めた小泉内閣への官からの警告である。
もう一つ、この問題と解く鍵がある。
検察を管掌する現法務大臣、杉浦正健氏は平成16年、 清和政策研究会の政策委員長となっている。清和政策研究会とは森喜朗前総理を会長とする政策集団であり、現在の自民党内部では最大の派閥である。今回の検察の動きに対して法務大臣は何一つ知らされていなかったとは言い難い。森派出身の杉浦氏が、この検察の動きについて事前に森会長に相談していたことは想像に難くない。今年の9月に、小泉総理は辞職し自民党総裁選挙が行われ、新総裁が誕生し新総理が生まれる。小泉−武部ラインには、それに際し先の選挙で当選したいわゆる小泉チルドレンと呼ばれる新人議員達の派閥参入を牽制し、後継総裁選挙において影響力を及ぼそうという目論見が見え隠れしている。ライブドアの摘発とは、そうした事態に対する小泉内閣を生み出した森喜朗前総理と小泉氏との党内抗争の一つである。森氏から小泉氏への恫喝であり、ポスト小泉のための第一幕なのだ。これによって震撼したのは、武部でもなく竹中でもない。小泉総理自身である。ホリエモンとは単なる、政治の中の一つの駒でしかない。
時代の寵児としてもてはやされたライブドアという会社は、その経緯を良く見れば、およそIT文化とは無縁と言わざるを得ない。ITに名を借りた単なる金儲け集団である。その成功を揚げへつらってきた小泉内閣の行き過ぎた市場原理主義と自民党内独裁にブレーキをかける、これが官と森派によるライブドア摘発の意味である。
ライブドア事件は、まさに現在の政治、経済、社会問題の縮図である。楽をして儲けることがまるで美徳であるかのようなマネーゲームを称揚する風潮は終りにしなければならない。決して官に対する改革に異を唱えるわけではないが、場合によっては世論を敵に回しかねないこの検察の行動に拍手を送りたいと思う。
日本人は戦後の焼け跡で額に汗して働き今日の繁栄をもたらした。そこには、多くの知恵、技術、たゆまぬ物作りへの努力があった。松下は電球二股ソケットを作った。東芝は電気釜を作った。ホンダはカブを作った。ソニーはトランジスタラジオを作った。トヨタはカローラを作った。いいものを作る、いいサービスを行う、社会に役立つ企業になる、それが企業本来のあり方である。会社は誰の物かと問うた投資家がいる。答えは明白だ。会社とは社会のものである。今、我々は、市場原理主義とよばれる株式至上主義に毒されようとしている。小泉劇場が政治の舞台の幕を降ろした時、我々に何が残っているのか、その後に何が始まろうとしているのか、一歩下がったところから見る必要があろう。 |
爽快倶楽部編集長 伊藤秀雄 |
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