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爽快倶楽部編集部


平成17年11月1日
定年後をどう生きるか
 今、自分の回りを見回してみて、腹を割って話が出来る、俺とおまえと呼び合うことができるような友が何人くらいいるかとあらためて考えてみると、まずは中学校、高校、大学時代の数人、社会に入ってからの数人しかいない。これらの友にしても、実際に会って話ををするのは年に何回かあればいい方である。私自身は比較的晩婚であり、未だ独り身の自分にとって、多くの友が家庭を持ち始め、それまでの俺とおまえの付き合いから疎遠になって行くことを寂しく感じたことがある。また、たまに旧友が集まっての忘年会などに、友の妻や子供がいて、かってとちがった雰囲気に違和感を覚えたことがある。もっとも、自分が家庭を持ち、子供が生まれてみれば、生活の中心が子供や家庭となっていく、その自然の流れに従わざるを得ないことを体験した時、それも又、しかたがないことだと思うようになった。だが、男も、女もそうであろうが、時には家庭や社会のしがらみもすべて離れたところで、かっての友との付き合いをしてみたいと思うことはあると思う。それは、若き頃の自分への憧憬であると同時に、家庭の夫、妻あるいは父、母という立場を離れての一個の人間としての自由に対する欲求であろう。

戦後ベビーブームで生まれた所謂団塊の世代が六十歳定年を迎える。多くの人が、社会の中で組織という枠の中で働き、家庭を持ちその中で生きてきた。人によって思いは多少違うではあろうが、自分の家庭を守るため、その組織のなかで出世しより高い収入を得る、又、自分の仕事の励みとしてより高い役職を得る、そうした毎日の積み重ねがあったように思う。女性にとってみれば、同様に、自分の家庭を守り、子供を育て上げるため、自分の生活のすべてをそれに捧げる、その連続だった方が多いであろう。勿論、そうした生活は生きることの励みとして多くの喜びをもたらしてくれたことは疑いない。だが、定年を迎え仕事というものを失う、子供達が成長し独立のために家を出る、そうした時、仕事や家庭のために生きてきた一組の夫婦にとって、どんな生活が始まるのであろうか。自らが邁進すべき生きる目標を失った時、いったいどんな生活の形を作れるのであろうか。

定年後の第二の人生は、自らの意思にかかわらず一方的に自由を与えられる。その自由とは、かっての生きがいの喪失との交換でもある。そうした時、新たな生きがいをどうして見つけるか、子として以上に友人として付き合ってきた子が出て行った時、あらたな友人をどうして見つけるか、その如何によって第二の人生のあり方が決まるように思える。

今、定年を境にして離婚をするという熟年離婚が増えていると聞く。その多くは妻の側からの要求としてあるようだ。理由として、子供のために我慢はしてきたが、夫が家庭を顧みなかった、夫の愛情を感じることができなくなったということがある。だが、ここで今一度、考えて見て欲しいと思う。夫は家庭を支えるために社会に出て懸命に働いた、妻は子や家庭を守るため一生懸命働いた、その意味では同じ目的のために生きてきたのだと思う。そして、父と母の役目を終えた時、生きることの意味を失うのは夫も妻も同じである。子供達が出て行ったあと、その家に残った者は、父と母ではなく夫と妻であり、一人の男と女となる。その時、一組の男と女はかっての恋人のように愛情を持ち合い、尊敬し感謝しあうことができるかどうかが、夫婦として生き続けることができるどうかであろうと思う。

非常に仲の良い老夫婦に出会うとき、彼らは仲の良い夫婦である以上に、価値観や趣味を同じくした親友のように見える。家庭を守る、子を育てることを共にしたように、何かを一緒にしているように見える。又、そうした仲の良い夫婦の周りにはそれぞれの友人が多いように見える。老いて夫婦二人となった時、その夫婦が再び仲の良い友人となること、そしてあらためて自分の回りに友の和を広げること、それぞれの人生を見守る事、それが第二の人生の始まりであるように思う。
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