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爽快倶楽部編集部


平成17年6月1日
「教えていただく」という心
 人は誰もが老いる。この自然の摂理はいかんともしがたい。老いは肉体に表われ、やがて精神に表われて行く。この老いを忌避すべきものと思うか、或いは人生の成熟のかたちとして為すか、誰もが問われることである。
 自家で商売や会社を経営している場合は、自分の意思において仕事を続けられるが、一般の勤め人であれば、いつ日か定年を迎える。言わば仕事を持った社会人生活に終止符を打たれるわけである。定年後に新たな仕事を見つけ働くこともできるが、それも長いものではない。その後に仕事を持たぬ第二の人生が始まる。多くの人々が仕事を通して社会と関わってきた生き方が断ち切られた時、新たな社会との関わりに戸惑いを持つ。それは、否応なく関係付けられる職域という狭い範囲での交友関係から、自分の家を起点とする地域社会との関係付けに変わるのであり、反強制的に求められる関わりから、自発的に求め無ければできない関わりに変わるからである。
 地域社会との関わり方には様々な方法がある。例えば町内会、自治会活動に参加する、趣味のサークルに参加する、なんらかのボランティア活動に参加するなど多様である。だが、この関わりにおいて、人は自分の本質を改めて問われることになる。即ち、どこかの会社の誰々ではなく、何町の何丁目何番地の誰々に変わり、そこでは本人の経歴はほとんど意味を持たない。云わばただの人としての付き合いが始まるのである。そこで評価されるのは、本人の人間性であり、仕事以外の属性である。性格として協調性があるか、人間の幅としての博識、趣味性がどれだけあるかである。他者と競うのではなく、共に生きるための社交性が必要なのである。往々にして会社時代、真面目に仕事をしてきた人間にこの社交性が欠けることがある。結果として、どの集まりに参加しても、独善的、依怙地、頑固として疎まれる結果となる。やがて、どこにも自分の居場所が見出せくなる。この事態を回避する一つの方法は、何事にも「教えていただく」立場を持ち続けることである。適度な謙遜は決して相手を不快にさせない。共に譲り合い、尊敬し合うことによって、新たな友人関係ができあがる。
 老後の生活を充実したものとするには、第一に心休まる家庭であること、第二に本心から語りえる友人を持つことである。あなたの回りにどれだけの友人がおられるか、あらためて数えてみるといい。もし、誰一人として友人を見出せないのなら、その原因はきっと、あなたにあるはずである。老後の生活、やがて、あなたの現実となる。
編集子




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