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爽快倶楽部編集部


平成17年2月1日
憲法改正について
 政界がいよいよ憲法改正問題に動き出した。改正の焦点は第九条を如何にするかである。第九条にはこう書いてある。

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 今、多くの議論の的は「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」であり、「国の交戦権は、これを認めない」である。この二つの条項に関し、多くの政治家は現在の国際状況に合わない、あるいは世界における日本の責任が果たせないという理由により改正が必要だと主張する。
 現在の国際状況とは何か?戦後ヤルタ体制の下、旧ソビエト連邦を中心とする共産主義諸国と米国を中心とする自由主義諸国との間に核抑止力による冷戦構造が築かれたが、旧ソビエト連邦の崩壊により世界は新しい秩序への過渡期を迎えた。それは他に比するものがないほどの圧倒的軍事力による米国の安全保障体制に世界が組み込まれる一極化、それとは独立したEC連合とのニ極化、ロシア、中国を含めた四極化、そしてそれとは全く孤立した北朝鮮、或いは一部のイスラム武装勢力及び局地的民族武装勢力を含めた五極化に集約される。
 この過渡期にあって、日本は如何にあるべきなのか?現在進行しつつある米国の世界的軍事戦略再編は、日米安全保障条約下において集団的自衛権の発動として、日本の自衛隊がその世界戦略の一部の肩代わりを要求し、自衛隊の海外派兵の恒常化を促すだろう。確かに、現在の集団的自衛権の発動はガイドライン法により米軍による軍事介入の後方支援と限定されてはいる、だが、その先に一体何が待っているのか?憲法第九条の改正の本質とは、畢竟、米国の世界的軍事戦略再編の一環なのだということを理解する必要がある。即ち、日本が今後も米国に組みするか否かの選択だということだ。もし、組みするとするなら、それは一体どこまでなのか、或いは、組みしないとすれば自国の防衛を如何にするのかが問われる。又、この問題と平行して提出されている、或いはその為にこそと言っても良いかも知れぬが、国連常任理事国入りへの希望は、常任理事国の資格及び責務として、その軍事的根拠を間違いなく問うだろう。
 自衛隊そのものの存在に目を移して見れば、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という規定において、国の安全保障の根幹たる「自衛隊」を憲法上、如何に位置づけるのか。更に、「国の交戦権は、これを認めない」という規定において、他国からの攻撃があった場合、自衛隊はいかなる防衛行動を為し得るのか。付言すれば、現在、自衛隊は「国際紛争を解決する手段」ではないのだから違憲ではないとする意見があるが、これは詭弁に過ぎない。なぜなら国家の防衛とは、他国からの軍事的脅威及び攻撃に対処するものであり、「国際紛争を解決する手段」に他ならないからである。
 この意味で考えるとき、憲法第九条を巡る改正論議はよほど慎重でなければならない。
 只、これだけは言える。まだ、多くの戦前、戦中世代がこの平成の世に選挙権を持ってはいる。しかし、後二十年、三十年後の日本には、戦争体験者は誰もいなくなる。その時、日本はどんな姿でいるのか、少なくとも他国の軍事介入に加担し戦争をしている国であってはならないはずだ。私たちの子供や孫達を他国の戦争に送り出す国ではあってはならないはずだ。
編集子




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