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爽快倶楽部編集部


平成16年11月25日
今年八十歳になる父が
 今年八十歳になる父が、ADSLに加入したいと言うので久しぶりに実家に帰った。昼食を共にした後、最近開店した近くの大手家電量販店に行った。父は今でもなお家電販売店を営んでいるのだが、パソコンやプロバイダーサービスは扱っていないので、本来ならば商売敵であるはずの家電量販店に行かざるを得ない。陳列されている商品の価格を見ながら ―店の仕入れより安いんじゃ、町の家電店はもう終りだな、と呟く父の声を聞いた。
 数十年前、街頭テレビに多くの人々が群がり、父の店先にも近来の人々が立って力道山のプロレスを見ていた時代があった。程なく、昭和三十四年の皇太子御成婚がきっかけとなって、多くの人々が父の店にテレビを買いに来た。ラビット号という名のスクーターの荷台にテレビを積んで文字通り朝から晩まで、配達、アンテナ建ての毎日だった。経済的に余裕のある家は、更に洗濯機、冷蔵庫を買い求めた。これらが三種の神器と呼ばれた時代である。それからのカラーテレビが普及する十数年前後が、町の電気屋の最も栄光に輝いた時だったのかもしれない。父は喫煙はするが、酒は飲まず、働くことと貯蓄することが趣味のような、正に勤勉を絵に描いたような人だった。私の記憶では、特別な事情がない限り、朝八時には店を開け夜九時まで営業していた。正月も元日から店を開け年中無休だった。父の生家のあまりの貧しさが父を勤勉な人としたのかもしれない。父はその時代の儲けを元にして同じ市内に土地を買い、アパートを建てた。そのアパートは老朽化が激しかったのでニ年前に新たに建て直し、現在そのアパートの一階を店舗としている。
 子は、その両親を見ながら成長すると言う。五十半ばを超えようとする自分が、父のような勤勉な人となり得たかは自信がない。又、自分が父を超えた存在となったかは、どんなに贔屓目に見たとしても決して言えない。未だに、父の背中が超えられない存在として大きく立ちはだかっているのを知る。親が子に残せる物の一つとして財産がある。もし将来、私が父の財産を受け継ぐことがあるとすれば、それは、財産という名の父の生き方のような気がする。
 ADSLの申込書に書き込む時の父の手が小刻みに震えていた。それは、今もなお八時に店を開け、一生涯現役として生きる父の信念の証のようだった。
編集子




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